伊奈波神社

伊奈波神社 神社
神社
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伊奈波神社は、岐阜県岐阜市にある五十瓊敷入彦命を祀る神社で、美濃国三宮にあたります。景行天皇14年(84)の創始と伝えられ、美濃国の戦国武将・斎藤道三が稲葉山城を築城するに際し、現在地に遷座しました。

旅行先の地図

旅行先の概要

御祭神 主祭神 五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)
配祀神 渟熨斗媛命(ぬのしひめのみこと)、日葉酢媛命、彦多都彦命、物部十千根命
所在地 岐阜県岐阜市伊奈波通り1-1
交通 JR東海道本線・高山本線「岐阜駅」(北口)から岐阜バス(岐北線ほか)経由で約10分、「伊奈波通り」停留所下車、徒歩約10分
東海北陸自動車道「岐阜各務原IC」から車で約15分
拝観料 無料
駐車場 境内に舗装された無料駐車場あり【誘導員の指示に従う】
URL
連絡先 伊奈波神社 058‐262‐5151

歴史・由来

伊奈波神社は、岐阜県岐阜市にある五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)を主祭神として祀る神社で、美濃国三宮にあたります。

延文4年(1359)に卜部兼前の書いた『美濃国三宮因幡社本縁起』によれば、陸奥守・中臣豊益が容姿と才覚にすぐれた五十瓊敷入彦命に嫉妬の思いをなして讒言したので、五十瓊敷入彦命は勅勘をこうむり朝敵として討たれたといいます。

その後、五十瓊敷入彦命が無実を訴えて天皇の夢枕に立ったので、景行天皇14年(84)、武内宿祢を派遣して金山の椿原(稲葉山中腹の丸山)というところに祀ったのが、この神社のはじまりとされています。

平安時代前期の仏教説話集『日本霊異記』には「是郡部内有大神名曰伊奈婆」として伊奈波(婆)神が託宣をしたことがみえ、『続日本後紀』にも美濃国厚見郡无位(無位)伊奈波神等が従五位下の神階を賜ったとあり、古くからその名を知られていました。

下って室町時代に書かれた万里集九の『梅花無尽蔵』には、明応5年(1496)の日付がある「濃州第三宮因幡大菩薩祭礼神事再興之題辞」が載せられていますが、この中では厚見郡内の平民が祭祀をおろそかにするようになり、神社が零落してしまったと訴えています。

天文8年(1539)、美濃国の戦国武将・斎藤道三は稲葉山城を築城しますが、その際に丸山にあった伊奈波神社は現在地に遷座し、同時に物部十千根命を祀る式内社の物部神社も合祀されたといわれます。

江戸時代に入ると、貞享2年(1685)に尾張藩主・徳川光友が社殿を造営し、昔日の勢威を取り戻しました。毎年4月5日に行われる伊奈波神社の祭礼では、安宅車をはじめとする山車が曳き出されますが、こうした山車祭りも江戸時代にはじまったものとみられています。

車椅子で旅行するポイント

※ この神社は「楼門」より奥の建物に車椅子で参拝することができません。詳しくは以下の解説をご覧ください。
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【1】伊奈波神社の鳥居付近で参道は正面の歩道と側道(車道)に分岐する。誘導員の指示に従い自動車はできるだけ上の駐車スペースに進む。

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【2】参集殿付近で正面の歩道に階段が現れる。階段前に賽銭箱があり遥拝が可。さらに上を目指すには正面は避けて側道を進む。

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【3】側道は神橋手前で正面歩道と合流する。階段を避けて参集殿寄りの歩道を進む。

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【4】伊奈波神社の楼門前。これ以降は本殿まで石段が続くので車椅子での移動は不可。



伊奈波神社境内図

境内配置図 [凡例]
本殿 和歌三神社・須佐之男神社・天満宮 黒龍神社 楼門 伊奈波大黒社 神橋 楓稲荷神社 吉備神社 参集殿 賽銭箱 社務所 手水舎 金山神社・愛宕神社 秋葉神社 岐阜東照宮 忠魂碑 水月亭 松尾神社 鳥居 トイレ 善光寺

移動のしやすさ ★★★☆☆
バリアフリーの状況 伊奈波神社は参道や周囲の境内地の多くがアスファルトや石畳で舗装されており、参集殿内に身障者用トイレもある。一見すると車椅子で移動しやすそうだが、段差を避けて移動できるのは楼門前までであり、なおかつ参道にもかなりの傾斜があるので単独での移動は難しく、適切な介助が必要である。

周辺の名所・観光スポット

岐阜市歴史博物館

岐阜市歴史博物館は、岐阜城が建つ金華山のふもと、岐阜公園内に位置する博物館施設。「金華山と長良川流域文化の歴史」を主題とし、岐阜市や周辺の歴史を各種資料をもとに紹介している。楽市立体絵巻や美濃和紙・美濃焼の 展示などのほか、戦国衣装の着付けなどの体験型のメニューもある。

【身障者用トイレ・スロープ・エレベーター・車椅子貸出あり。手帳又はミライロID提示で障害者・介助者1名無料。】

■参考リンク:岐阜市歴史博物館