喜多院は、小江戸の風情が残る埼玉県川越市の寺院で、近世、黒衣の宰相といわれる家康の側近・天海が住持となり隆盛しました。正月のだるま市や五百羅漢像で知られ、徳川家光誕生の間がある客殿は江戸城御殿の一部を移築したもので国の重要文化財です。
旅行先の地図
旅行先の概要
御本尊 | 阿弥陀如来 |
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所在地 | 埼玉県川越市小仙波町1-20-1 |
交通 | JR・東武東上線「川越駅(西口)」からイーグルバス「小江戸巡回バス」経由で約13分、「喜多院」停留所下車。 又は「川越駅(東口)」から東武バス「小江戸名所めぐりバス」経由で約8分、「喜多院前」停留所下車。 西武新宿線「本川越駅」からイーグルバス「小江戸巡回バス」経由で約8分、「喜多院」停留所下車。 関越自動車道「川越IC」又は首都圏中央連絡自動車道「川島IC」から車で約20分。 |
拝観料 | 境内無料。ただし、「客殿・書院・庫裡・慈恵堂(本堂)・五百羅漢拝観コース」は大人400円、小人(小・中学生)200円。 |
駐車場 | 寺院入口に舗装済の有料駐車場「明星駐車場」(収容台数:133台)あり。土日祝日・繁忙期(正月等)は3時間まで500円。平日は1時間まで200円、以後1時間ごとに100円増。駐車場奥(多宝塔側)に身障者用区画あり。 |
URL | http://www.kawagoe.com/kitain/ |
連絡先 | 喜多院拝観寺務所 049-222-0859 |
歴史・由来
喜多院は、時の鐘や蔵造りの街並みなど「小江戸」の風情が残る埼玉県川越市小仙波にある天台宗の寺院で、山号は「星野山」(せいやさん)です。御本尊は阿弥陀如来ですが、あわせて慈恵大師良源(元三大師)、慈眼大師天海を祀っていることから「川越大師」とも呼ばれます。
『無量壽寺喜多院緣起』によれば、昔この地にやってきて奇跡を起こした仙芳(芳道仙)という仙人の名をとって「仙波」の地名が生まれ、平安初期の天長7年(830)には慈覚大師円仁が淳和天皇の勅命により伽藍を建立したといいます。
当初は仏地院(中院)を中心に、仏蔵院(北院)、多聞院(南院)の3院が存在し、「無量寿寺」を称していましたが、土御門天皇治世の元久2年(1205)に兵火により焼失したため、永仁4年(1296)に伏見天皇が尊海僧正に再興させて関東天台本山となし、このとき慈恵大師良源(元三大師)を併せ祀りました。尊海はこのとき明星が光り飛ぶのを見てこの地が霊場であることを悟ったといい、これが山号「星野山」の由来とされています。
天文6年(1537)には北条氏綱が上杉朝定の川越城を攻め、さらに灰燼に帰しますが、のちに徳川家康の厚い信任を得て大僧正の位にまで登り詰める天海(慈眼大師)が慶長4年(1599)に北院の住持となると、寺号は「喜多院」に改められ、徳川幕府から寺領500石を賜り、川越藩主・酒井忠利の手により復興が進められます。
慶長18年(1613)には2代将軍・徳川秀忠の発した関東天台法度により「関東天台総本山」と定められ、つづく寛永15年(1638)の川越大火で多くの堂宇を焼失するものの、3代将軍徳川家光の命により、川越藩主で老中の堀田正盛が奉行となって江戸城の御殿移築を含め堂宇が次々と再建され、4代将軍・徳川家綱の頃にはさらに200石が加増され、寺領750石・寺域4万8千坪を誇る大寺となり隆盛を見ます。
喜多院には現在も様々な文化財が残されていますが、江戸城紅葉山御殿を移築した客殿には徳川家光誕生の間が、書院には家光の乳母・春日局化粧の間があり、その他、庫裏、山門、鐘楼門、慈眼堂、仙波東照宮などの建造物はいずれも江戸時代前期に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。
また、「日本三大羅漢」の一つである五百羅漢は、天明2年(1782)から文政8年(1825年)にかけて建立されたもので、中央の釈迦如来などを含めてつごう538体あり、ユーモラスな表情としぐさで知られています。深夜、羅漢の頭を撫でると一つだけ温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ているという言い伝えがあります。
さらに、正月3日は天台宗中興の祖とされる第18代天台座主・良源(元三大師)が示寂した日であることから、これが縁日の「初大師(はつだいし)」とされ、良源が円融天皇御悩の際に鬼の姿に化して疫病神を追い払った姿を写したという「角大師」の厄除け護符が頒布されるほか、境内では「だるま市」が開かれ、多くの参拝客でにぎわいます。
車椅子で旅行するポイント
※ 境内図中「鐘楼門」わきの「トイレ」棟は取材後の2015年3月に建て替えられて多目的トイレ(車椅子用手すり、オストメイト用汚物流し、ベビーチェア、ベッドあり)が併設されました。以前の解説文では「トイレは身障者用なし」としていたのを訂正します。(2016年3月現地写真を追加)
周辺の名所・観光スポット
川越市川越伝統的建造物群保存地区
江戸時代に城下町として整備され、商業都市として繁栄した川越には、明治時代の「川越大火」を経て、防火対策のための蔵造りの建物や、堅牢な洋風建築が次々と建てられた。また、川越藩主・酒井忠勝が創建した「時の鐘」も大火の直後に再建されており、中心市街地一帯にはこれら特色ある歴史的景観が残り、多くの観光客が訪れている。
【路面は舗装され平坦。地区内に身障者用トイレあり。ただし、常に観光客で混雑し、車道に近接する場所もあるため要注意。】
■参考リンク:小江戸川越観光協会