本寺専修寺

寺院
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本寺専修寺は、栃木県真岡市にある浄土真宗高田派の寺院で、関東における教化活動の拠点として、親鸞聖人が唯一建立したものとして知られます。他に三重県津市に「本山」の位置付けで同名の寺院があります。戦国時代に兵火にかかり荒廃するものの、江戸時代に諸堂が再建されており、御影堂その他の建物が国重要文化財に、境内が国史跡に指定されています。また、例年8月には新盆の法会「高田まち」が行われ、露天商なども出て大いににぎわいます。

旅行先の地図

旅行先の概要

御本尊 阿弥陀如来
所在地 栃木県真岡市高田1482
交通 北関東自動車道「真岡IC」または「桜川筑西IC」から車で約20分
拝観料 無料
駐車場 境内脇に砕石敷の無料駐車場あり(大型バス5台、普通車40台)
URL
連絡先 本寺高田山専修寺 0285-75-0103

歴史・由来

本寺専修寺は、栃木県真岡市にある浄土真宗高田派の中心的な寺院です。

『親鸞聖人正統伝』によれば、鎌倉時代の嘉禄元年(1225)、親鸞聖人が下野国芳賀郡大内庄柳島(現在の栃木県真岡市高田)を訪れたところ、童子の姿をした明星天子が現れ、この地に伽藍を建立するように勧めたといわれています。

その際、親鸞聖人が明星天子から賜った柳の枝を水田に挿すと、一夜にして柳の木が生長し、泥土が堅固な地盤になるという奇瑞を見せたことから、真岡城主・大内国行らの支援を得て如来堂を建立し、信濃国善光寺から一光三尊阿弥陀如来を本尊に迎えたのがはじまりと伝えられています。

その翌年の嘉禄2年(1226)には後堀河天皇の綸旨を受けて勅願寺となり、「専修阿弥陀寺」の寺号を賜るなど、親鸞聖人が唯一建立した関東教化の拠点となる寺院として栄え、親鸞聖人の京都帰洛後も弟子の真仏上人(専修寺二世)や顕智上人(専修寺三世)らが中心となって教団(高田門徒)を支えました。

第十世の真慧上人は加賀国から伊勢国にかけての東海・北陸地方に教線を拡大し、室町時代の寛正6年(1465)に伊勢国一身田(いしんでん、現在の三重県津市)に「無量寿寺」を建立し、専修寺の寺基もこちらに移転します。

やがて旧本山にあたる下野国専修寺のほうは、真智・応真の両派に分かれての住持争いや大永6年(1526)の兵火による焼失で衰退する一方、伊勢国の本山が真宗高田派の拠点として栄えるようになります。

したがって、現在の本寺専修寺の境内に残る建物のほとんどは江戸時代に再建されたものですが、嘉禄2年(1226)の草創当時のものとされる茅葺きの「総門」をはじめ、延享元年(1744)再建の「如来堂」、寛文6年(1666)再建の「御影堂」などが国重要文化財に、境内が国史跡の指定を受けています。

また、「涅槃堂」に安置されている釈迦涅槃像は、墨書により元禄15年から16年(1702~1703)にかけて「江戸湯島久兵衛」が制作したことがわかる木造金箔塗りのもので、木造の涅槃像としては日本一の全長3メートルを誇り、栃木県の指定文化財のひとつです。

専修寺の境内では、毎年8月1日・2日の両日、もとは顕智上人の祥月命日に由来する「高田まち」と呼ばれる新盆の法会が催されており、多くの露天商も出てにぎわいます。この日には御影堂の親鸞聖人像、真仏上人像、顕智上人像の御開帳があります。なお、如来堂に安置される本尊一光三尊仏の御開帳は17年ごととなっています。

ほかに如来堂の南側にある墓地の奥には親鸞聖人の遺歯9粒を埋葬した「御廟所」、南東2キロ先の飛び地境内には専修寺建立途中での親鸞聖人の仮住居「三谷(みや)草庵」、東側2百メートル先には明星天子の夢告を受けた場所にあたる「般舟石(はんじゅせき)」などの霊跡が残っています。

車椅子で旅行するポイント

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【1】寺号標が建つ市道のクランクから入ると、砕石敷の歩道を通り、途中で傾斜がある太鼓橋を経て総門に至る。

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【2】総門北側には砕石敷の無料駐車場があり、この駐車場内を通って庫裡とトイレの間から境内に入るルートもある。

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【3】総門の先は石畳の参道で楼門につながり、南側の寿松寺・遍照寺の間からも境内に入れる車道が延び、楼門手前で石畳の参道に合流する。

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【4】境内の如来堂や御影堂へは石畳または玉砂利の参道が延びている。参道以外も玉砂利が敷かれており、場所により沈みやすいので注意が必要。

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【5】御影堂への参道は平坦な石畳だが、堂に近いほうには高さ15センチほどの石段が複数存在している。




本寺専修寺境内図

境内配置図 [凡例]
御影堂 太子堂 鐘楼 御成門 鼓楼 白鷺池 如来堂 涅槃堂 楼門 総門 茶所 対面所 書院 御殿 庫裡 トイレ 長屋門 風致林 寺号標 寿松寺 遍照寺 真岡市消防団第六分団第三部 親鸞上人御廟 三谷草庵 栃木県道45号つくば真岡線

移動のしやすさ ★★★☆☆
バリアフリーの状況 本寺専修寺の正面入口は、寺号標が建つ市道のクランクから砕石敷の歩道を通るルートとなるが、途中に石造の太鼓橋がある。自動車で近くに寄せる場合には、砕石敷の駐車場の内部を通ってトイレと庫裡の中間にあるゲートか、または南側の寿松寺・遍照寺の中間にある車道が境内に接続している。トイレの入口はスロープ状だが、周囲の玉砂利はかなり厚く堆積しているので注意。また、境内の石畳の参道も御影堂方面に向かう経路の途中に石段がある。

周辺の名所・観光スポット

二宮尊徳資料館

「二宮尊徳資料館」とは、栃木県真岡市にある、江戸時代の農政家・二宮尊徳の事績を紹介する展示施設です。
二宮尊徳は旗本・宇津家の知行所である野州桜町(現在の栃木県真岡市)の復興を手がけ、飢饉の回避や借財返済などに大きな功績を上げたことから、その手法は「桜町仕法」として他の地域にも広まりました。
館内には二宮尊徳が使用していた陣笠や脇差などの遺品や遺墨、桜町での事績を紹介するバネルやアニメーション映像などが展示されています。
資料館の周囲には二宮尊徳を祀る「桜町二宮神社」、二宮尊徳が奉職していた「桜町陣屋跡」、二宮尊徳の遺髪などを納めた墓地(蓮城院)などがあるほか、一帯は「桜町史跡公園」として遊歩道や緑地、四阿などが整備されています。
【身障者用トイレ・スロープあり】

■参考リンク:真岡市>二宮尊徳資料館