桜山神社

桜山神社 神社
神社
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桜山神社は、盛岡城址に鎮座し、南部家の開祖・藩主4柱を祀っています。江戸中期の寛延2年(1749)、当時の盛岡藩主が初代藩主・南部信直公を顕彰するために社殿を建立したのが始まりです。境内裏の「烏帽子岩」という巨石は盛岡城築上の際に土中から現れたといい、神社のお守り岩として崇拝されています。

旅行先の地図

旅行先の概要

御祭神 南部光行公、南部信直公、南部利直公、南部利敬公
所在地 岩手県盛岡市内丸1-42
交通 東北自動車道「盛岡IC」から車で約20分。
JR「盛岡駅前」から盛岡都心循環バスでんでんむし(左回り)経由で約9分、「県庁・市役所前」停留所下車、徒歩約3分。
拝観料 無料
駐車場 神社境内に舗装済みの参拝者駐車場あり。前面道路は一方通行につき注意。
URL
連絡先 櫻山神社 019-622-2061

歴史・由来

桜山神社は、盛岡城址に鎮座する神社で、御祭神は南部光行公、南部信直公、南部利直公、南部利敬公。

江戸時代中期の寛延2年(1749)、当時の盛岡藩主・南部利視公が盛岡藩初代藩主・南部信直公の功績を顕彰するために社殿を建立したのが始まりとされています。

当初は盛岡城の本丸東側の淡路丸にあったことから「淡路丸大明神」と呼ばれていましたが、文化9年(1812)、盛岡藩11代・南部利敬公が「桜山神社」と改名し、さらに南部家初代・南部光行公を合祀しています。

明治時代に廃城令が下り盛岡城の敷地が国有化されると、桜山神社はいったん妙泉寺山に遷座し、次いで「盛岡五山」で南部家菩提所の聖寿禅寺跡に社殿を造営して遷座します。

その後、盛岡城址が南部家に払い下げられたことから、明治33年(1900)に盛岡城旧三の丸に社地・社殿を確保して再び遷座し、大正時代には盛岡藩3代・南部利直公、盛岡藩11代・南部利敬公も合祀されて現在に至ります。

また、この神社の社殿の後ろには「烏帽子岩」と呼ばれる巨石があります。これは、盛岡城築城時に土中から出現したもので、今日まで南部藩の「お守り岩」として崇拝されてきており、パワースポットともいわれています。 

車椅子で旅行するポイント

桜山神社

【1】商店街沿いの公道に舗装済の「参拝者駐車場」あり。一方通行路につき注意。

桜山神社

【2】神社正面は石階段だが、駐車場から授与所方向にスロープが延びている。

桜山神社

【3】スロープを通り桜山神社拝殿へ。玉砂利敷で参道は石畳。賽銭箱の位置は参道より2段高い。

桜山神社

【3-1】参道と賽銭箱の位置

桜山神社

【4】本殿裏の「烏帽子岩」は階段があるため車椅子不可だが、拝殿からもよく見える。

桜山神社

【5】身障者用トイレは盛岡城跡公園の中にある。

桜山神社

【5-1】身障者用トイレ内部



桜山神社境内図

周辺の名所・観光スポット

盛岡城跡公園(もりおか歴史文化館)

不来方(こずかた)城とも呼ばれる南部氏の居城跡を公園化したもので、春には桜の名所となる。石川啄木や宮沢賢治ら文人ゆかりの地でもある。公園内にはもりおか歴史文化館が開館し、盛岡山車の展示や城下町の解説史料などが展示されている。
【入口前に身障者駐車場あり、警備員が誘導。車椅子可】

■参考リンク:もりおか歴史文化館

もりおか啄木・賢治青春館

国重要文化財に指定されている旧第九十銀行本店のレンガ造りの建物を活用した資料館。石川啄木・宮沢賢治の青春時代や文学、盛岡の街並みなどを紹介している。
【入口前に身障者駐車場・エレベーターあり。車椅子可】

■参考リンク:もりおか啄木・賢治青春館

石割桜

盛岡地方裁判所前にある高さ10メートルのエドヒガンザクラの通称で、国の天然記念物。巨大な花崗岩の割れ目から幹が伸びていることからこの名がある。樹齢は300年から400年といわれる。

■参考リンク:岩手県観光ポータルサイト「いわての旅」>石割桜