神田神社(神田明神)

神田明神 神社

神田神社は、東京都千代田区の神社で、明治初年に准勅祭とされた「東京十社」に含まれます。天平2年(730)の創建時に大己貴命が祀られ、のち東国で新皇を称して討たれた平将門、及び少彦名命が祀られました。「神田祭」は山王祭、深川祭と並ぶ「江戸三大祭」の一つとして有名です。一般には「神田明神」とよばれることもあります。

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旅行先の地図

旅行先の概要

御祭神 大己貴命、少彦名命、平将門命
所在地 東京都千代田区外神田2丁目16-2
交通 JR中央線・総武線「御茶ノ水駅」(聖橋口)から徒歩約5分
JR京浜東北線・山手線「秋葉原駅」(電気街口)から徒歩約7分
東京メトロ丸ノ内線「御茶ノ水駅」(聖橋口)から徒歩約5分
東京メトロ千代田線「新御茶ノ水駅」(聖橋口)から徒歩約5分
東京メトロ銀座線「末広町駅」から徒歩約5分
東京メトロ日比谷線「秋葉原駅」から徒歩約7分
首都高速都心環状線「神田橋出入口」から車で約5分
拝観料 無料。ただし、「神田明神資料館」は大人300円、学生・子供200円。
駐車場 神社境内に舗装された無料駐車場(大型バスは随神門脇の別区画)あり
URL
連絡先 神田神社社務所 03-3254-0753

歴史・由来

神田神社は、東京都千代田区の神社で、明治初年に准勅祭とされた「東京十社」に含まれています。

創建は天平2年(730)のことで、出雲系の氏族である真神田臣(まかんだおみ)が当時の武蔵国豊島郡芝崎村に祖先神である大己貴命を祀ったのが始まりとされています。

そののち当地で悪疫が流行し、これは東国で「新皇」を称し朝廷に追討され敗死した平将門の祟りであるとして恐れられていたところ、諸国遊行中の時宗の他阿真教上人が「将門の首塚」に板碑(現在のものは拓本から復元したもの)を造立して供養するとともに、延慶2年(1309)には将門の霊を合祀し「神田明神」としたといいます。

元和2年(1616)には徳川2代将軍秀忠によって江戸城の鬼門となる現在地へ遷座して「江戸の総鎮守」となりました。

明治元年(1868)には東京近郊の主要な10社が准勅祭(この社格は明治初期に廃止)とされ、当社もこの「東京十社」に含まれるところとなりました。

明治7年(1874)、明治天皇の御親拝に当たり、平将門が朝敵として祭神から外され、代わりに大洗磯前神社から少彦名命が勧請されますが、平将門を主人公としたNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」放映後の昭和59年(1984)には主祭神に復帰します。

この神社の祭礼である「神田祭」は、江戸時代には町内から次々と山車が繰り出し将軍も上覧するという盛大なものとなっており、日枝神社の「山王祭」、富岡八幡宮の「深川祭」と並ぶ「江戸三大祭」の一つとして現在に引き継がれています。

また、境内には天平2年(730)創始の江戸最古の地主神である「江戸神社」をはじめとした摂社・末社も多くあります。

車椅子で旅行するポイント

神田明神

【1】国道17号沿い鳥居を直進すると随神門。門の下は平坦で車椅子可。

神田明神

【2】随神門を右折すると「駐車場」の看板。車の場合は道なりに進む。

神田明神

【3】駐車場へは御神殿の脇を通りさらに裏手へ。

神田明神

【4】御神殿裏、祖霊舎ほか摂社前の境内駐車場。 舗装され平坦。

神田明神

【5】御神殿。正面は階段だが両脇にスロープあり賽銭箱の位置まで移動可。

神田明神

【5-1】御神殿右、明神会館側スロープ(左の資料館側にもスロープあり)

神田明神

【6】御神殿左手の鳳凰殿休憩所の館内に身障者トイレあり。


神田明神境内図


周辺の名所・観光スポット

湯島聖堂

元禄3年(1690)に徳川5代将軍綱吉が建てた孔子廟が起源で、寛政9年(1797)に江戸幕府直轄の昌平坂学問所が置かれた。明治時代に学問所は廃止されるが、その後も東京師範学校(現・筑波大学)、東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)が置かれ「日本の学校教育発祥の地」と呼ばれる。黒塗りの大成殿は関東大震災で被災し鉄筋コンクリート造で再建されたもの。国史跡。【本郷通りに面する西門のみ進入可。敷地内は階段、段差多し】

■参考リンク:史跡湯島聖堂

ニコライ堂(東京復活大聖堂)

JR御茶ノ水駅前に建つ日本ハリストス正教会の大聖堂。緑青の濃いドーム屋根が特徴的なビザンチン様式の建物で 、明治24年(1891)竣工し、関東大震災後に改修がなされた。国重要文化財。午後1時~4時(10月~3月は3時半まで)の時間は聖堂拝観が可能。【聖堂拝観は北門から入り事務局に申し出てスロープ利用可】

■参考リンク:日本正教会>東京復活大聖堂(ニコライ堂)