秩父今宮神社

秩父今宮神社 神社
神社
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秩父今宮神社は、埼玉県秩父市の市街地に鎮座する神社です。日本三大曳山祭のひとつ「秩父夜祭」に際しては、武甲山から境内に湧き出た水が「水幣」(みずぬさ)として分与され、御田植祭が行われます。境内には「龍神池」と呼ばれる霊泉が湧いているほか、樹齢千年ともいわれるケヤキの老大木の「龍神木」が葉を茂らせています。

旅行先の地図

旅行先の概要

御祭神 伊邪那岐大神・伊邪那美大神、須佐之男大神、八大龍王神、宮中八神、役尊神(役行者)、聖観世音菩薩・馬頭観世音菩薩、弁才天
所在地 埼玉県秩父市中町16-10
交通 西武鉄道「西武秩父駅」から徒歩10分。秩父鉄道「御花畑駅」から徒歩5分。
関越自動車道「花園IC」から国道140号、皆野寄居バイパス経由、車で約40分。
拝観料 無料
駐車場 境内に無料駐車場あり。進入路は狭小につき注意。
URL
連絡先 秩父今宮神社 0494-22-3386

歴史・由来

秩父今宮神社は、埼玉県秩父市の市街地にあたる中町に鎮座する神社です。

古くからこの地には霊泉が湧き、伊邪那岐大神・伊邪那美大神が祀られていたところ、大宝年間(701-704年)に修験道の祖である役行者が飛来して神仏混淆の「八大宮」を建立したのがはじまりとされています。

奈良時代には宮中八神が、平安時代には本地仏として大日如来が祀られ、大宮山満光寺、長岳山正覚院金剛寺の2寺が建立されるとともに、天文4年(1535)の悪疫流行に際しては京都今宮神社から須佐之男命を勧請しての今宮神社が創建されています。

天正19年(1591)には徳川家康から朱印地10石を得て、江戸時代末まで京都・聖護院直末の今宮坊が寺院と神社双方の別当職を兼帯し、本山派修験の霊地として栄えますが、明治元年(1868)の神仏分離令により社寺が分離され、また明治5年(1872)の修験道廃止令により諸坊も廃止され、加えて明治11年(1878)には秩父大火が起こります。

このため、境内地はかつてほどの広さはありませんが、今でも「龍神池」と呼ぶ霊泉が渾渾と湧き、龍が棲むといわれる樹齢1000年ともいわれる大ケヤキ「龍神木」も見事に枝葉を伸ばしており、近年ではパワースポットとしても知られるようになっています。

江戸時代の宝永年間(1704~1710)につくられた秩父今宮神社の流造の旧本殿は、「銭神様」として知られる和同開珎ゆかりの聖神社(秩父市黒谷)に移築されており、地元の工匠の手による活気ある彫刻からも往時のようすがうかがえます。

日本三大曳山祭のひとつといわれる「秩父夜祭」の際には、この神社が重要な役割を果たし、環境省の「平成の名水百選」にも選ばれた境内から湧き出る武甲山の伏流水を「水幣」(みずぬさ)として秩父神社に授けることにより、田植えを擬した神事が行われます。

また、もとは同じ境内にあった徒歩数分の距離にある「今宮観音堂」は秩父観音霊場第14番札所となっており、空に慶雲がたなびき、役小角の随身の童子が降りてきて弘法大師空海に彫らせたという伝説のある聖観音像が安置されています。

この聖観音像をはじめとする秩父観音霊場の御本尊は、普段は扉に閉ざされていますが、12年に一度の午歳に秩父各所で総開帳されます。

車椅子で旅行するポイント

秩父今宮神社

【1】東京電力角の県道交差点から細い路地を進むと秩父今宮神社の歩行者入口。

秩父今宮神社

【2】歩行者入口から龍神池、龍上観音、橋を経て社殿方向へ。参道は玉砂利敷。

秩父今宮神社

【3】参道を進むと奥に秩父今宮神社の社殿。境内全面に玉砂利が敷かれている。

秩父今宮神社

【4】車両は歩行者入口の先にある専用駐車場に駐車できる。駐車場には砕石が敷かれている。

秩父今宮神社

【5】神社から100メートル西の今宮観音堂(札所14番今宮坊)。正面4段、中に1段の階段あり。



秩父今宮神社境内図

見どころ

龍神木

幹周り7.3m、樹高25.4mのケヤキの大木で、樹齢約500年とも1千年ともいわれる。木のうろに竜神が棲むことから「龍神木」と、また武運長久を願った武士が馬をつないだことから「駒つなぎのケヤキ」と呼ばれる。

周辺の名所・観光スポット

今宮観音堂

神社の西100メートルに位置する。秩父観音霊場第14番札所。御本尊は聖観音で、堂宇は方三間の端正な造り。堂内には別に藤原時代の作とされる蓮茎を持つ飛天像が伝わる。神仏習合の頃は秩父今宮神社の社地であり、聖護院直末の長岳山今宮坊が別当となり一体として祀られていた。
【入口に4段の階段、奥に1段の段差あり。建物は境外から見られるが、境内に入るのであれば介助が必要。】

■参考リンク:秩父札所連合会公式サイト>秩父札所十四番 今宮坊